瓜生岩子のマルチな活動

この週末の会津旅行で偉大な女性に出会いました。瓜生岩子。江戸時代末期~明治時代に生きた市井の女性です。
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この時代にあって喜多方の比較的恵まれた家に生まれた岩子は、十代半ばで医師である叔父の家に行儀見習いに。17歳で商家の男性と結婚し4人の子どもに恵まれ、商売も軌道に乗ります。が、その後不幸の連続。お店の番頭に金を持ち逃げされてしまい、伯父・夫・母を次々に亡くし…。失意のどん底の岩子が、幼い頃から親しんだ熱塩村のお寺の住職に「こんな不幸続きで私は生きる意欲を失った。尼になりたい」と言うと、住職は「お前より不幸な者は五万といるのに自分が一番不幸であるかのように嘆くとは何事か。お前の残りの人生を、他の不幸な人々のために捧げなさい。お前は他の人の幸せを自分の幸せと感じることができる人間だ」と一喝されます。

以後の岩子の活躍には本当に驚かされます。戊辰戦争の時には敵味方を問わず傷病者を看護し、貧しい者に食べ物を与え身よりのない子どもを引き取って育てます。教育こそ最も大事と考え、学校をつくり教師を探すため奔走します。時は明治時代、幕府方であった会津に風当たりの強かった時代のこと。すべてに障害が立ちはだかります。
岩子はくじけず、県知事に直訴したり東京で貧民救済について学んだりして初志貫徹していきます。岩子の苦労を厭わないパワフルな活動は様々な人の心を動かしました。板垣退助渋沢栄一皇后陛下…何の肩書きもない女性が著名人に信頼されるなど、よく考えると信じがたいことです。
岩子は飴粕で水飴を作ったり、包帯くずで着物を仕立てたりしました。自身も質素な暮らしで余裕のない生活でしたが、捨てられているものを使って人々に役立てたいと考えたのです。リサイクルボランティア社会福祉。また岩子は堕胎や子捨てを非常に憂い、人々が貧しさゆえに子捨てをしなくて済む社会への願いを請願書に込め、衆議院に請願書を出しました。女性で日本初の請願書だそうです。もちろん女性に参政権などない時代、市民活動まで行っていた岩子の精力的な活動には驚かされました。
私は今回の旅行までこの女性をまったく知らなかったのですが、この偉大な業績を讃え、「日本のナイチンゲール」と呼ばれているそうです。もともと喜多方の人で、地元熱塩の示現寺境内に彼女の像があります。が、なんと浅草の浅草寺にも像があると知って早速調べに行きました。確かに岩子の像がありました!
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浅草寺に像があるなど、超有名人なみの扱い。一見普通のおばあさんなのにこの偉業。自分の幸せより貧しい人のためにひたすらに生きた瓜生岩子こそ、時代を超えて人の心をうつ人物と言えましょう。